2025.10.09
伝検通信(メルマガ)週刊メールマガジン「伝検通信」 第77号
週刊メールマガジン「伝検通信」第77号をお届けします。
今週のトップ記事は、ボイメンの本田剛文さんによる、名古屋提灯の制作体験記です。
「クイズで肩慣らし」は、前回クイズの答え・解説と、「茶道」の問題です。
第3回伝検(2級、3級)は11月1日(土)
伝検公式教材・参考書・サイト https://denken-test.jp/
目次
・ 「本田剛文の伝統!堪能!感動!」 第2回 名古屋提灯(ちょうちん)
・ 「クイズで肩慣らし」 第76回=「文様」
・ 伝検協会だより
「本田剛文の伝統!堪能!感動!」 第2回 名古屋提灯(ちょうちん)
本田剛文=BOYS AND MEN(ボイメン)メンバー

昔ながらの製法で作られる名古屋提灯
「眠らない街」という表現があるくらいに、現代は光源にあふれています。ご存じの通り、電気の明かりが登場する以前に人々の生活を照らしたのは火でした。スイッチ一つで明るさを得られる現代の便利さは、もちろん非常にありがたいのですが、火が放つ光のはかなさと美しさもまた、忘れずにいたいものです。そこで今回は愛知県の名古屋提灯をピックアップ。名古屋駅から近い円頓寺商店街にある「わざもん茶屋」にお邪魔しました。長らく名古屋提灯の製造をしている「伏谷商店」が手掛ける飲食店で、伝統工芸品のセレクトショップでもあります。
名古屋提灯は、かつて岐阜と合わせて全国トップの提灯生産量を誇ったといいます。その理由は尾張徳川家による産業振興と、美濃和紙などの材料が豊富に手に入るエリアであったことが挙げられるそうです。職人の多さや、本州の真ん中という物流に有利な地であることも寄与したとのこと。その技は現代も大切に受け継がれ、地域のお祭りで山車を彩ったり、僕も出演させていただく舞踊劇「名古屋をどりNEO傾奇者(かぶきもの)」のステージ上に設置されていたり、さまざまな場面で活躍しています。そんな光景を眺めていると、現代の電飾と比べて提灯の光には何とも言えない柔らかさがあることに気付きます。
お店のご主人、伏谷健一さんによると、その柔らかな光の秘密は和紙にあるといいます。和紙は楮(コウゾ)をはじめとした植物の繊維が絡み合ってできています。その繊維構造がいわばフィルターのような役割を果たし、光を拡散させ、柔らかくまろやかにしてくれるのです。日本家屋でおなじみの障子も同じような機能を果たしています。加えて、和紙はかなり高い割合で紫外線もカットしますので、障子に関して言えば光の質を変えるだけではなく、家財道具や畳を日焼けから守るという大役も担っているのだそうです。
さて、今回は特別に提灯作りの体験もさせていただきました。和紙を貼る作業に挑戦です。使用する接着剤は、米粉から作った糊(のり)。それを提灯作り用の毛足が長い刷毛(はけ)にたっぷりと含ませ、提灯の骨にたたくようにして乗せていきます。塗りつけるように刷ると、和紙との接着面ではない骨の裏側にまで糊が付着してしまうため、このような技術を使うのだそう。これを「糊打ち」と呼びます。ご主人の手さばきが鮮やかで一見簡単そうに見えたこの工程ですが、実際にやってみると過不足なく均等に糊を打つには集中力を要します。満遍なくやっているつもりでも、全然糊が付いていない箇所があったりする、シンプルながら奥深い作業です。

糊打ち」用の刷毛は糊をたっぷり吸って重たい
糊打ちをしたら、いよいよ和紙を貼り付けます。デザインが分割された和紙を何回かに分けて貼ることで、最終的に提灯の円周を全て覆います。まずは上下左右のズレがないよう慎重に、和紙をふわりと骨の上に置きます。ここで登場するのが、先ほどよりも硬い質感の刷毛。馬の毛を使って作られているそうです。これでたたき、そして擦るようにして骨の隙間に和紙を入れ込み、なじませていきます。この作業を「いせ込み」と呼び、提灯の顔を決定づける瞬間といっても過言ではないかもしれません。しわを和紙全体へ均等に分散させるバランス感覚を要します。1枚の和紙を貼り終える頃には、汗で背中びっしょり。力みと緊張感の仕業でしょう。
今回体験させていただいたのは、以上の2工程。名古屋提灯作りの一端にすぎないかもしれませんが、古くから受け継がれてきた技をご指導いただく中で、かつての人々の生活や、職人たちの仕事ぶりが目に浮かぶような気分に。同時に、その技を守り継承する皆さんへの感謝とリスペクトも強く感じました。

和紙をたたき、擦る「いせ込み」は仕上がりを左右する緊張感が大きい
最後に、ご主人から名古屋提灯について教えていただく中で、特に印象的だった言葉をご紹介します。
「今はSDGsという言葉があるけれど、日本の伝統には何百年、何千年と続いてきた実績がある。伝統に触れることで、千年先も同じことができるかな、できるようにするにはどうしたらいいかなという感覚、感性が育つ。昔の人がやっていたことに思いをはせる場面が、現代は少な過ぎるんじゃないかと感じるんです」
思わずハッとしました。持続可能という概念を体現してきたのが日本の伝統であり、それらを学ぶことが未来への架け橋になるという考え方にとても感銘を受けました。つまり、日本伝統文化検定に挑戦することは過去と未来へのアプローチ。秋の夜長は提灯の優しい明かりの下で、ますます勉強に精を出したいと思います!

一部の和紙を貼っただけなのに、わが子のように思えます
「クイズで肩慣らし」 第76回=「茶道」
~伝統文化に関するさまざまな話題をクイズ形式でお届けします~

堺市の南宗寺(なんしゅうじ)は武野紹鴎と千利休が修行した場所で、
利休らとともに、今回出題された人物とその一族が眠っている
第76回
問題:茶の湯の天下三宗匠の1人で、その審美眼から安土桃山時代随一の道具の目利きといわれた堺の豪商は誰でしょう。(答えと解説は次号で)

この家紋のモチーフになったのは多年生の水生植物で、
三方に大きく分かれた矢尻のような葉が水面から顔を突き出したようにも見える。
夏には3弁の可憐な白い花を咲かせる
【前回の問題と答え・解説】
問題:葉の形が矢尻に似ていることから勝軍草(かちいくさぐさ)とも呼ばれ、武家が好んで文様にし、戦国大名の毛利元就が家紋の一つとした植物は何でしょう。
答え:沢瀉(オモダカ)
解説:水田やため池などに自生する植物で、陶磁器や着物などに文様として描かれます。毛利元就は「勝ち虫」といわれるトンボが沢瀉(オモダカ)に止まっているのを見た後、戦に勝ったことから、毛利家の家紋に採用したといわれています。漢方薬の原料にもなり、歌舞伎の世界には、初代市川猿之助の生家が副業として薬屋を営んでいたことから「沢瀉屋」という屋号もあります。
伝検協会だより
▼伝検と着物雑誌「七緒」(発行・プレジデント社)
▼伝検2級受験者を対象にしたオンライン特別講座の配信動画に、
【編集後記】
先週の本通信「宙ちゃん」連載では、宇田川榕庵の「造語力」の功績を称えましたが、さっそく今週月曜日にノーベル生理学・医学賞の受賞者に大阪大学特任教授の坂口志文さんが選ばれました。日本の研究力の低下が心配される昨今ですが、「40年頑固にやってきた研究」が世界的に認められたという、大変うれしいニュースでした。何事も「継続は力なり」ですね。
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