伝統文化を知る

2025.12.04

コラム/エッセイ

職人技が生み出す美―こだわり詰まった歌舞伎衣装

時事通信記者 中村正子

歌舞伎「藤娘」の片身替わりの打ち掛け。踊りの名手だった六代目尾上菊五郎が考案した
(撮影協力・松竹衣裳)

色彩美あふれる衣装は歌舞伎を見る楽しみの一つです。伝統的な織りや染め、手の込んだ刺しゅうなど繊細な手仕事から生まれる着物や帯は、まるで工芸品のよう。俳優の演技と一体となって観客を芝居の世界にいざないます。

「歌舞伎に限らず、着ているものは、その人を表す大事な要素ですよね。芝居の衣装は出てきた時点でどんな役柄なのかを伝える演出の一端を担っています」。歌舞伎公演の現場で衣装の手配や管理などに長く携わった松竹衣裳常務取締役の辻正夫さんは自負を込めて話します。

例えば、三大名作の一つである「菅原伝授手習鑑」の松王丸。菅原道真への恩義のため、わが子を道真の子の身代わりにする「寺子屋」の場面で着る衣装には、役名にちなむ松の木に雪が積もっている様子を表す「雪持松(ゆきもちまつ)」と、鷲(わし)が黒の綸子(りんず)地に描かれています。「松の枝が雪の重みに耐えているのが松王丸の心情につながっている。よく見ると鷲は雀(すずめ)を捕まえていますが、忠義の名のもとに子どもを犠牲にすることに重ねているのでしょう。江戸時代の芸術的な発想はすごいと思います」と辻さん。

黒綸子の生地に手の込んだ刺しゅうで雪持松と鷲が描かれている「寺子屋」の松王丸の衣装。

尾上菊五郎らの音羽屋型では同じ柄が銀ねずの綸子地に描かれる。(撮影協力・松竹衣裳)

今、松竹衣裳にある一番新しい松王丸の衣装は、担当者が職人の所に何度も通って俳優側の意向を伝え、1年以上かけて作られたもの。「遠目でも雪が積もっているように見えるよう、刺しゅうで凸凹を出しています。職人は糸をよって刺しゅう糸を作るところから始めるのですよ。雪の刺しゅうができる人は工房に1人しかいなかったのですが、この衣装を作ることで若い職人に技術が継承されました」(辻さん)。間近で見ると枝や葉の色にもグラデーションが付けられ、職人のこだわりに驚かされます。

映画「国宝」にも登場した「藤娘」は、藤の花の精が美しい娘の姿で舞台に現れ、恋心を踊りで表現していく人気舞踊です。踊りの中盤で着るのが、右身頃(肩から裾までの部分)は梅幸茶(ばいこうちゃ)と呼ばれる渋みのある萌黄(もえぎ)色、左身頃は朱色と、左右の色を大胆に変えた「片身替わり」の打ち掛け。「藤そぎ袖」と呼ばれる丸みのある袖は妖精をイメージしています。「現代のオレンジや黄緑とは違う落ち着いた和の色で、藤の柄のぼかし染めは職人技。客席から分からない所にまでこだわっているから繊細に見えるのです」と辻さん。

同じ演目でも、演じる俳優の好みや型の違いで衣装の色や柄が変わることがあります。「寺子屋」の松王丸の場合、音羽屋(尾上菊五郎家)系の俳優が演じる時には銀鼠(ぎんねず)色の綸子地に雪持松と鷲が描かれた衣装が使われます。

10月の歌舞伎座では「義経千本桜」が2通りの配役で上演され、衣装の違いが一目瞭然でした。義経のもとに向かう静御前と義経の家臣の佐藤忠信に化けた狐(きつね)忠信が踊る「吉野山」で狐忠信を勤めたのは市川團子さんと尾上右近さん。團子さんは金糸で源氏車(げんじぐるま)の文様を散らした源氏車金糸縫紋紫紺緞子着付(ぬいもんしこんどんすきつけ)という衣装でしたが、右近さんは紫紺緞子の無地のシンプルな衣装でした。

歌舞伎公演の衣装のほぼすべては松竹衣裳が各劇場の出し物に合わせて貸し出しているものですが、細やかな手仕事で歌舞伎の衣装を作ってきた職人は今、減少の一途です。「知らざぁ言って聞かせやしょう」とすごむ「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」の主人公、弁天小僧菊之助が黒縮緬(ちりめん)の振り袖の下に重ね着している赤と浅葱(あさぎ)色の麻の葉模様の着物は「段鹿の子」と呼ばれる絞り染めですが、松竹衣裳の取引先では昨年、職人が引退。刀の目利きで知られる源平時代の武将を描いた「梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)」に登場する大名たちが着る裃(かみしも)も、京都の織物職人の後継者不足で生地の調達が難しくなっているそうです。

辻さんは「自分が携わった衣装で俳優が舞台に上がり、お客さまに喜んでいただけるのを実感できるのは職人のやりがいです。総合芸術と言われる歌舞伎の中でも先人たちが築きあげてきた伝統の美を衣装の面から携わらせていただけることは幸せなことですし、より多くの方に歌舞伎をご覧になっていただけることが、われわれ職人の継承にもつながるのです」と話しています。

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