2025.10.30
白洲信哉の「多様なるジャパン」「多様なるジャパン」 第12回 枯山水
白洲信哉=文筆家、日本伝統文化検定協会副会長
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秋の京都・龍安寺(時事通信フォト)
枯山水。読んで字の如(ごと)く、「枯れた山水」。つまり山水を感じたいからあえて水を引き上げ、空間を縮小し、石組みと白砂で表現した。伝検テキストに鎌倉時代の渡来僧、中でも臨済僧・夢窓疎石の作事により禅宗建築の一部として整ったとあるが、言葉そのものは寝殿造が盛行した平安末期の秘伝書「作庭記」(世界最古の作庭理論書)に「池もなく遣水もなき所に石をたつることあり、これを枯山水となづく」とある。疎石らの禅僧はもともと何もしてはいけない方丈前の前庭を、禅の思想に日本式解釈を加味し、本場にない作庭術を編み出し「枯れる」方法を、今日の大徳寺大仙院や龍安寺(いずれも京都)に代表される石庭として様式化していく。
水を引き上げたいわゆる「引き算」の美学について連載第3回でも触れたが、今に続く庭園、生け花にお能、茶の湯…室町時代に隆盛した禅なくして、いや彫刻に絵画など仏教と離れて日本文化を語ることはできない。この時代の渡来僧は、第3回の曜変天目のように思想だけでなく、さまざまな輸入品を携えて来た。絵画では牧谿(もっけい)や馬遠(ばえん)に代表される山水の景観を端に、あとは余白に余情を残す手法(残山剰水)の南宋画が珍重される。「白紙も模様のうちなれば」という余韻に満ちた構成は、見る人の心に従って自在な精神風景を映し出す同手法が、ジャンルを超え見る者の想像力に委ねた「胸中の山水」が枯山水なのだ。宋元絵画をはじめ禅僧がわが国文化に及ぼした影響は大であり、茶の湯の侘(わ)びと枯山水の枯れは同線上にあり、モードは時代を超え突き抜けた様式がやがて不易になるのである。
枯山水は方丈の濡(ぬれ)縁など室内から眺める庭、額縁式とも言う。一方、庭の中を人が歩き、移り変わる風景を楽しむ池泉回遊式がある。前者は外界を拒否し内観に徹する禅思想から自然を対立的に眺めるが、回遊は自然と親しみ情感を通わせようとするようで、太古から日本人に一般的な感情のように僕は思う。どちらにも共通するのは、作庭に欠かせない石に対する僕らの感情であり、ご神体としての巨岩から磐座(いわくら)に昇華したものまで、石は単なる石ではなく霊性が付託されており、「石は立てる」のである。
「われら日本人の間では、自然のままの石を愛する。石に人間の魂を与えてみる。すなわち、山から出る石は、その掘り出される時からすでに石でなくなっている。それが庭に据えられると自分らの友達になってくる。モノ言うとワレに向かって返事をする」(鈴木大拙)
カテゴリー: 白洲信哉の「多様なるジャパン」
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