伝統文化を知る

2026.01.15

コラム/エッセイ

「おだんご先生と巡る日本の伝統和菓子」 第3回 五感で味わう包みの美学 ― 饅頭文化が育んだ伝統と意匠

芝崎本実=十文字学園女子大学講師

塩瀬総本家の志ほせ饅頭(筆者提供)

蒸籠(せいろ)の蓋(ふた)を上げた瞬間に立ち上る真っ白な湯気、その向こう側に整然と並ぶふっくらとした丸い姿。手のひらに収まる柔らかで、ふくよかな饅頭(まんじゅう)は、口に運べば優しく心地よい食感。そこには、小麦や山芋が蒸し上がった際の芳醇(ほうじゅん)な香りが漂い、私たちの五感を同時に満たしてくれます。

饅頭は、正月の「えくぼ饅頭」や人生の門出を祝う「紅白饅頭」、旅先の和菓子店で手渡される熱々の「名物饅頭」、さらには法要の場で静かに供えられる「春日饅頭」など、特別な節目から日常の茶の間のひとときまで、気取らない和菓子でありながら、時には敬意を伝える贈り物にもなります。

饅頭の要となる生地作り。山芋を練り込む「薯蕷(じょうよ)饅頭」では、温度や湿度によって芋の粘り気が変わるため、山芋の種類を組み合わせ、砂糖や粉を合わせる力加減などを調整します。生地が手に付かず、しっとりと滑らかになる瞬間を、和菓子職人は指先の感覚だけで見極めます。また、あんを生地で包む「包(ほう)あん」の技術は、均一な厚みで、かつあんの重みに負けないように手際よく包み上げる動作が美しい所作のような職人技です。蒸し上げる工程では、蒸籠中の蒸気の対流を考え、美しい形や饅頭皮の表面のつやを完成させます。

饅頭の起源は、中国から伝わったとされ、三国時代の諸葛孔明が荒れ狂う川を鎮めるための供物として考案したという伝説は有名です。当初は小麦粉の生地の中に肉類を詰めた「肉入れの羹(あつもの)」に近いものでしたが、日本へ伝わる過程で大きな転換がみられ、日本オリジナルの饅頭が創作されました。

日本へ饅頭が伝来したルートは諸説ありますが、一つ目は鎌倉時代の禅僧・聖一国師(しょういちこくし)が留学先の中国・宋から博多へ持ち帰ったとされる「聖一饅頭」で、これは茶の湯の発展とともに「点心」としての地位を築きました(1241年)。二つ目は室町時代に中国・元から渡来した林浄因(りんじょういん)が奈良の地で広めた饅頭です(1340年代)。林浄因は、当時の日本における仏教文化の広まりを受け、肉の代わりに小豆のあんを包む工夫を凝らしました。林家が伝えた「志ほせ(塩瀬総本家)」の饅頭は、足利将軍家や宮中からも重用され、江戸時代には庶民の嗜好(しこう)品としても広く普及しました。

このように、肉入りの食事から甘味としての菓子へ変容を遂げた饅頭は、各地で豊かな地域性を育んできました。また、和菓子の中でも特に「蒸し立て」のぬくもりに魅了される文化があり、地域に根ざした独自の発展も見られます。

例えば、広島を代表する銘菓「もみじ饅頭」は、明治時代に宮島を訪れる人々をもてなすために考案されたもので、紅葉の形を模したその意匠には、季節をめでる日本的な感性を共感できます。一方、福島県郡山市の「薄皮饅頭」は、皮を極限まで薄くすることであんの品質を際立たせるという、素材の良さを引き出す工夫がされています。また、小麦の産地である群馬県で見られる「焼きまんじゅう」は、蒸し上げた大きな饅頭を串に刺し、甘辛い味噌(みそ)を塗って火であぶるという独特の調理法を持ちます。これは養蚕地帯の労働をも支えた力強い食文化といえます。他にも多くの饅頭がその土地の作物を包み込み、地域の食糧事情や知恵を今に伝える貴重な資料となっています。

さらに、饅頭の表面に着目すると意匠の素晴らしさにも魅了されます。真っ白な、あるいは黒糖の滋味を感じさせる褐色の皮には、干支(えと)をモチーフにしたものや、松の枝、あるいは長寿を願う「寿」の文字などの熱せられた焼き印を季節や花鳥風月に合わせて刻印します。また、山芋を用いた真っ白な薯蕷饅頭の表面には、食紅で一筋の線を引き、ウサギの耳を模すなど日本ならではの「見立て」の技法を体現することもあります。生地の表面の厚みを不均一にすることで、中のあんがうっすら見える「吹雪饅頭」は、雪が地上に舞い降りた様子を表現します。緑の染料を不均等に垂らすことで自然の景色を描く「織部饅頭」のように、表面のわずかな変化によって自然の厳かさや季節の移ろいを映すものもあります。中身のあんが見えないからこそ、外見の意匠が食べる者の期待を膨らませ、想像力を刺激します。

あんを包むことで日本独自の文化へと洗練された饅頭は、伝統的な製法と精神を礎にしながらも、時代の変化に応じて素材や意匠を変え、これからも日本の和菓子文化を支える菓子であり続けるでしょう。


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