伝統文化を知る

2026.01.29

白洲信哉の「多様なるジャパン」

「多様なるジャパン」 第15回 杉(桶、樽、酒林…)

白洲信哉=文筆家、日本伝統文化検定協会副会長

老舗酒蔵に杉玉=兵庫県姫路市(時事)

国土の7割近くが森林で覆われた木の国ジャパン。その40%を占める人工林の4割以上を占め、これから花粉の季節で厄介者のように扱われている杉だが、かつては青森から、かの屋久杉まで全国各地に点々と、二千メートルの高山から海辺近く、温暖で雨の多い地域から雪深く寒さ厳しい地にも天然の杉林が自生していた。磨製石器を手にし、樹木を切るようになった遠い昔、無くてはならない木材として僕らと共に生きてきた。記紀(古事記と日本書紀)によると地上最初の君主・番能邇邇芸命(ほのににぎのみこと)は、その名からニギニギしく豊かに稲穂をたたえ、「豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)」に降り立った。昨今のお米券ではないが、わが国の象徴である稲作を僕ら文明の始まりとするなら、重要な因子として杉も加えたい。

弥生時代の稲作遺跡として著名な登呂遺跡では、ノコギリのような道具もない時代、広大な水田の畦(あぜ)道全てに杉の矢板を巡らせ、補強していた。杉は板目でも柾(まさ)目でも割りやすく、軽量で加工に優れ、真っすぐ伸びる通直性から高蔵の柱材でも強度があるなど多用された。

「新酒搾りたて」に「立春朝搾り」とこれから新酒が販売されるが、杉は日本酒との関わり合いも古く、万葉の頃より「うまさけを三輪のはふりが祝ふ杉…」と、わが国最古参大和大神(おおみわ)神社のご神木・巳の杉に天降(あまくだ)り、カミの分身である杉玉(酒林=さかばやし)が奉納され、新酒を寿(ことほ)ぐ。寒仕込みに蔵元店先につるされる杉玉はその名残だが、江戸時代に酒樽(だる)は焼きものから杉製に代わり、樽(たる)に染み込んだ杉の香りに防腐作用のあるその新芽を漬け出荷し、樽酒と珍重した。また、水にも浮き、ばらすのも簡単、古材も薄く削ることで何度もリサイクル、薄く割った板材は元の木より大きな桶(おけ)や樽になり、重い焼きものの壺(つぼ)や甕(かめ)に替わる輸送にも用いられる。酒の醸造後には味噌(みそ)や醤油(しょうゆ)に転用、運搬の和船から橋や箸に至るまで杉はさまざまな場面で重宝されていく。

1609年に日本を訪れたスペイン人ドン・ロドリゴは「日本にはたくさんの都市があるが、その都市は広くて大きく、人口も多く、また清潔で秩序もよく整っている。欧州の都市でこれに比較できるものはない」と述べた。当時、京の人口80万の都市衛生の縁の下の力持ちが杉の担桶(たご)で、大桶に蓄え農地に肥料として還元された。一般にはわが国の「木の文化」の代表として、檜(ひのき)や樟(くすのき)が挙げられるとは思う。社寺などの重要な建物に仏像など上層階級の中で補助的な材料にすぎなかったかもしれないが、一属一種日本固有の割烈(かつれつ)性に優れた杉は、当然気候風土に向いて稲作と並走するように、技術革新の名脇役として無くてはならない庶民の生活材だった。

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