日本の紬はある島に中国の養蚕技術が持ち込まれて発達しました。その島はどこでしょう。

久米島(くめじま)

久米島紬(くめじまつむぎ)は、15世紀後半に、「堂之比屋(どうのひや)」という人物が、久米島に中国の養蚕技術を持ち帰ったことが起源とされています。久米島紬の特徴は、糸紡ぎから織りの全工程を一貫して1人の織子(おりこ)が手作業で行なうこと。染料には久米島の植物や泥を使い、織りは手投杼(てなげひ)を用いて丹念に手織りで織り上げます。それにより、久米島紬独特のしなやかな風合いと、素朴であたたかみある紬に仕上がります。

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近藤宙時=日本伝統文化検定協会理事

写真/「日本刀(無銘:御勝山永貞)」=時事通信フォト

日本の「匠(たくみ)の文化」「匠の技術」を生み出した伝統工芸が、この150年余りの間に2度も消滅の危機に瀕したことをご存じでしょうか。

最初の危機は明治維新でした。伝統工芸の最大のパトロンにして、刀剣武具などの唯一の購買層でもあった武士という支配階級が消滅した時です。当時の匠たちは、例えば刀鍛冶が包丁職人になり、刀の鍔(つば)や鎧兜(よろいかぶと)の金属装飾品を作っていた金工師たちは、例えば紳士用の名刺入れにその技を生かすなど、生活用具を生み出すことによって伝統工芸の核心的な技術と価値を生き残らせました。

2度目の危機は、はるかに深刻なものです。それは、現在も続いている生活の洋式化です。しかも1960年代以降の高度経済成長に伴う工業化の進展と大都市圏への人口移動は、大家族が主体だった生活形態の基礎までも変えてしまいました。核家族化です。

洋式化だけなら、明治維新という危機を乗り越えたように、匠の技を生かす新たな製品を生み出せば乗り切れたかもしれません。しかし、夫婦とその子供だけの核家族化によって、「匠の技」が生み出す伝統工芸品の価値そのものが奪われてしまいました。家族がバラバラになる時代にあっては、先祖伝来の伝統工芸品を受け継ぐ者もおらず、鑑賞や体験、使用の機会が激減してしまったのです。

プラスチックの安価な大量生産品に囲まれて育った大人たちに「匠の文化」の素晴らしさを知ってもらい、子や孫に伝えていってもらうには、地球環境の危機が叫ばれる今をおいて他にはありません。

前回述べたように、自然を敬い、自然から生み出される日本の伝統工芸は、製造工程においても、使用段階においても、さらには廃棄の段階においても自然を友とし、自然を破壊することはありません。その完璧とも言えるサスティナビリティー(持続可能性)の高さは、日本のみならず、世界中の人々に愛される源になるでしょう。これから始まる「伝検」こそ、日本の「匠の文化」を多くの人々に伝える一助になるものと信じています。