日本の紬はある島に中国の養蚕技術が持ち込まれて発達しました。その島はどこでしょう。

久米島(くめじま)

久米島紬(くめじまつむぎ)は、15世紀後半に、「堂之比屋(どうのひや)」という人物が、久米島に中国の養蚕技術を持ち帰ったことが起源とされています。久米島紬の特徴は、糸紡ぎから織りの全工程を一貫して1人の織子(おりこ)が手作業で行なうこと。染料には久米島の植物や泥を使い、織りは手投杼(てなげひ)を用いて丹念に手織りで織り上げます。それにより、久米島紬独特のしなやかな風合いと、素朴であたたかみある紬に仕上がります。

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近藤宙時=日本伝統文化検定協会理事

写真/和歌山県の伝統工芸である「根来塗」

前回のコラムで、「匠(たくみ)の技」が生み出す伝統工芸品の価値が核家族化によって奪われてしまったと書きました。日本の木造住宅や、たんすなどの家具、伝統工芸の集積である仏壇は、子々孫々まで代々にわたって使われることを前提にしています。工業製品は時間が経過するにつれて劣化していきますが、伝統工芸品は「経年美化」こそが最大の特徴です。ところが、家族がバラバラになる時代にあっては誰もそうした価値を顧みなくなり、何百年も持つことが過剰品質になってしまったのです。

大量生産・大量消費の時代に生まれ、「消費は美徳」と言われながら育った昭和人間としては、「経年」に続く単語は「劣化」の一言であり、他の単語が来るとは思いも寄りませんでした。ですから経年美化という言葉を初めて聞いた時は、一瞬の「?」の後で小さなショックを受けざるを得なかったほどです。

30年も前になるでしょうか。当時の伝統工芸士会の会長さんにお会いした時でした。「量産品と、会長が作られるような工芸品との違いは何ですか」と問うと、会長さんは間髪入れず「それは経年劣化と経年美化の違いです」とおっしゃったのです。私の当惑ぶりを見て取った会長さんは、こう説明してくれました。「物ができた時、つまり出荷時点が最高なのが量産品。それに対し、使うほどに手になじみ、味が出て、数十年、百年という時を経て輝くのが工芸品です」

実にうなずける話でした。家電を筆頭に、工業製品は使うほどに悪くなります。経年劣化の典型でしょう。また、日進月歩で高性能な製品が世に出される工業社会に生きてきた身にとっては、たとえ使われていなくても、最新型こそが最高性能であり、古い物は劣悪な物でしかありませんでした。しかし、真逆の価値を持つものが同じ日本にあり、脈々と受け継がれてきていたのです。

例えば、根来塗(ねごろぬり)という漆器があります。もともとは和歌山県の北部にある新義真言宗の総本山、根来寺の僧が日頃の修行の中で使うための食器として作られました。頑丈にするため、黒漆で下地を塗り上げた後に、辰砂(しんしゃ=硫化水銀を含む鉱石で、古くから赤色の塗料として珍重された)を使った朱色の漆塗を施しています。

これを何十年、百年と大切に使っていると、指の摩擦で自然と朱色が薄くなり、下地の黒が顔を出して、朱の地に黒が斑紋のように浮かび上がってきます。さらに使い込むと、やがて朱色の部分が少なくなり、今度は黒地に朱の斑紋という反対の景色が現れます。もちろん、作られた当初の朱一色の時も美しいのですが、使われるほどにさらに美しくなる。それは、歳月という自然が作り出した、掛け替えのない美にほかなりません。ここにも、自然を友として、これを楽しむという日本の伝統文化の神髄が表れています。

経年美化を目にするには、職人が丹精込めて作るだけでは足りません。使う側もそれを慈しみ、大切に扱ってこその経年美化であり、職人が生んだものを使う人が育てるという共同作業がなければ得られないものです。経年美化という言葉は、使い捨て文化を見直すサステナブルな社会を象徴しているような気がします。