伝統文化を知る

2024.08.22

コラム/エッセイ

宙ちゃんの「伝統文化一直線」 第10回 「ピー缶」に込められた思い

近藤宙時=日本伝統文化検定協会理事

日本の伝統色である藍色が用いられた「ピース」のパッケージ。
デザイナーのレイモンド・ローウィ―が指定した藍色は、当時の印刷技術では再現が難しく、
新たな樹脂型インクを開発して商品化にこぎ着けたという。

最近とんと耳にしなくなった言葉に「ピーカン晴れ」があります。昭和の頃は、雲一つない晴天を表す決まり文句でした。語源には諸説ありますが、「ピース」という缶入りたばこ(ピー缶)の藍色のパッケージのように深く晴れ渡った空を、いつしかそう呼ぶようになったともいわれています。

この印象的なパッケージをデザインしたのは、フランス生まれでアメリカを本拠地として活躍したレイモンド・ローウィー。工業デザインの概念を打ち立て、工業デザイナーという職業を確立した人物です。日本での知名度はピカソやゴッホに比べるとはるかに低いと思いますが、死後40年近くを経た今の日本でも、彼の作品を見たことのない人は恐らくいないと思われるほどのデザイン界の巨人です。ピースのほか、「F」の筆記体の渦巻きが特徴的な不二家のロゴマークをはじめ、「カナダドライジンジャーエール」、石油ブランドの「エクソン」や「シェル」など、現在も多くの作品が使われ続けています。

彼がピースに関わることになったきっかけは1951年、戦後復興を目指していた日本の経済界から招かれて東京都内で行った講演でした。「日本には資源が無い。従って、好むと好まざるとにかかわらず、原材料を輸入し、製品を作る加工貿易を行うしかない。日本は物まねをするのにたけているが、何よりも大切なことは、物まねをしないことだ。まねをすれば、利益は出ない。個性的なデザインこそが、製品が選ばれる理由であり、付加価値の源泉である」

実に本質を捉えた言葉だと思います。どんなに先進的な機能であっても、いずれは陳腐化します。その時、人がその製品を選ぶのはデザインが決め手になるのが自明の理だからです。 ローウィーの言葉に感銘を受けた日本専売公社(現日本たばこ産業)の総裁が、彼に直談判して生まれたのがピースの新しいパッケージでした。

この講演はその後、日本インダストリアルデザイン協会の設立につながるなど、日本に工業デザインの重要性を認識させるきっかけともなりました。しかし、彼の言葉を肝に銘じ、実践したのは、専売公社や不二家、それに朝日麦酒(現アサヒビール)の経営層ぐらいで、多くはなかったようです。実際、高度成長期から現在まで、日本の製品はどこか他国、他社の製品に似通ったデザインが少なくありません。これこそが、欧米先進国に追いついた後、日本経済が長い低迷期に入り込んでしまった大きな原因の一つだと、私には思えます。

彼は講演で、次のような言葉を付け加えています。「幸い日本には、長い歴史に培われた個性的で大変魅力的な伝統文化がある。これに拠(よ)れば、必ず世界に通用する独自の製品を生み出せるだろう」と。

彼はピースのパッケージをデザインするに当たって、日本を象徴する色を求め、日本の伝統文化に触れるため京都を旅し、奈良時代に冠の色で役人の地位を区別した冠位十二階まで研究したといわれています。専売公社が支払ったデザイン料は内閣総理大臣の月給が11万円の時代に150万円という破格のものでしたが、ピースの売上高は年間26億本から150億本へと激増しました。彼は、講演での自らの言葉を文字通り実践してみせたのです。

彼のために付記するなら、当時の日本で高額ぶりが騒がれた150万円というデザイン料も、当時の為替レートでは4000ドル強にすぎません。1940年に「ラッキーストライク」というたばこのパッケージデザインで5万ドルを受け取った彼からすれば、日本の復興支援のための超サービス価格だったと言えるでしょう。

ともあれ、彼の言葉の通り、長い歴史に培われた日本の伝統文化は、21世紀のデザイン界でも枯れることのない源泉足り得ると思います。直接は無関係のように見える自動車業界や家電業界を含め、日本の製造業から商業・サービス業まで、産業界に従事する全ての方々に伝検を受けてもらえたら、きっと世界を魅了する製品・サービスがもっともっと生み出されるに違いありません。一人でも多くの方の受験を心から願っています。


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