伝統文化を知る

2025.10.23

伝検通信(メルマガ)

週刊メールマガジン「伝検通信」 第79号

週刊メールマガジン「伝検通信」第79号をお届けします。

今週のトップ記事は、宙ちゃんの「伝統文化一直線」、美濃焼をめぐる話題です。

「クイズで肩慣らし」は、前回クイズの答え・解説と、「陶磁器」の問題です。

第3回伝検(2級、3級)は11月1日(土)から来年1月12日(月・祝日)まで実施します。申し込みは、ちらから現在受付中です。ぜひ、下記、公式テキスト、オンライン講座をご活用の上、チャレンジしてみてください。

伝検公式教材・参考書・サイト https://denken-test.jp/official_text/


目次

・ 宙ちゃんの「伝統文化一直線」 第21回 悲運の陶磁器産地
・ 「クイズで肩慣らし」 第78回=「陶磁器」
・ 伝検協会だより


宙ちゃんの「伝統文化一直線」 第21回 悲運の陶磁器産地

近藤宙時=日本伝統文化検定協会理事

水野敬子作・美濃焼黄瀬戸油揚手蕪図大皿(著者提供)

経済産業省が今年8月に発表した2024年の経済構造実態調査(2次集計結果)によると、陶磁器(和洋飲食器)の生産額(工場出荷額)は418億円。このうち、美濃焼の産地である岐阜県は224億円と過半を占めました。2位は波佐見焼で知られる長崎県の49億円、3位は世界的ブランドである有田焼の地元・佐賀県の48億円ですから、まさに他地域を圧倒しています。しかしながら、伝検の第1回試験では、陶磁器の生産額が最多の都道府県を問う問題が、正答率はいちばん低かったそうです。これには、美濃焼に3度も降り掛かった悲運が大いに関係しているように思います。

最初は、世界でも珍しい、「ひょうげた」変形の器で知られる織部焼を襲った悲運です。織部焼は技術力、生産力ともに当時から陶磁器産地として抜きんでていた美濃(現在の岐阜県東部)で焼かれました。もちろん、創出者である古田織部が美濃の大名であったことが影響していると考えられます。

織部焼はデザインの斬新さに加え、古田織部が当時第一の茶人であったことから、たちまちにして人気の陶器となりました。ところが、1615年、大坂夏の陣を前にして徳川家康から切腹を申し付けられたことで、織部焼も禁忌の器となってしまい、売ることさえはばかられるようになりました。このことは、陶磁器の商いの中心地であった京都・三条通で、1989年から2000年代初頭にかけて完品の織部焼が大量に出土したことから証明されました。産地であった美濃にとっては、青天のへきれきとも言える大打撃であったろうことは想像に難くありません。

この苦難を乗り越えるべく、美濃焼の産地は白釉(はくゆう)を掛けた太白(たいはく)と呼ばれる陶器などを量産し始めますが、これらの陶器は「美濃焼」ではなく「瀬戸物」としてしか全国に流通できませんでした。というのも、徳川幕府は秀吉の息がかかっていた東濃地方に大藩を置かず、焼き物の出荷は全て尾張藩の領地である隣の瀬戸(現在の愛知県瀬戸市)を通すように仕向けたのです。この第2の悲運は、「瀬戸物」という一産地の名称が陶磁器全般を指すようになった原点でもあります。

「美濃焼」の名が復活するのは、1835年に東濃地方の庄屋であった西浦円治が中心となって多治見に「美濃焼物取締所」を設置するまで待たなければなりませんでした。西浦円治はこの時、およそ1000両(現在の貨幣価値で1億円相当)を使ったといわれています。この頃には磁器の量産化も果たしました。明治の代を迎え、五代西浦円治が開発した美しい釉下彩(ゆうかさい)の磁器がセントルイス万博で金賞を受賞するなどして、美濃焼は全国、そして世界へと販売されていきます。

最後の悲運は、昭和の陶磁器研究家小山富士夫が、他の産地に比して歴史的にも全く遜色がない美濃焼を「日本六古窯」に含めなかったことです。一説には、なじみがあり過ぎた美濃焼以外の産地を紹介したかったからともいわれていますが、晩年には美濃に窯を開いたほどの小山が「七古窯」と命名しなかった真意は分かっていません。ともかく、この六古窯という総称が幅を利かせていくに従い、美濃焼は隅に置かれがちになっていきました。

その圧倒的とも言えるシェアに比べて、なぜか美濃焼の知名度が低いのは、ここに挙げた3度の悲運が大きく影を落としているとみていいでしょう。伝検の受験をお考えの皆さん、冒頭で触れた問題が出た時は、くれぐれもお間違えなきようお願いいたします。


「クイズで肩慣らし」 第78回=「陶磁器」

~伝統文化に関するさまざまな話題をクイズ形式でお届けします~

明治時代の大聖寺伊万里

第78回

問題:明治時代に大聖寺伊万里と呼ばれる磁器が作られたのは、現在の何県でしょう。(答えと解説は次号で)


東京都港区のクジラ料理専門店「鯨の胃袋」提供

【前回の問題と答え・解説】
問題:12月13日のすす払いの後に食べることが江戸庶民の慣習となり、その後、関西の関東煮やハリハリ鍋の具材にもなった食材は何でしょう。

答え:鯨(クジラ)

解説:
日本では仏教伝来後、その教えが広まり肉食が禁止されましたが、鯨は魚と同類と見られたので伝統的に食されてきました。室町時代の料理書「四条流包丁書」では、鯨が他の魚をしのぐ最高位とされています。和歌山県太地町(たいじちょう)で捕鯨が行われてきたことから鯨食が広まり、青森県八戸市では「くじら雑煮」を正月に食べるなど、各地で独自の鯨食文化が受け継がれています。


伝検協会だより

前々週の伝検通信でご案内した11月24日(月・振り替え休日)の着物雑誌「七緒」(発行・プレジデント社)との共催イベント「数寄を見つけよう」では、参加者懇親会で高級日本酒「TAKANOME(鷹ノ目)」の試飲も実施します。世界中の人々を魅了する日本酒で、パイナップルのような芳醇(ほうじゅん)な香りと味わいが特徴です。公式サイトで週1度しか販売されない特別な一杯を心ゆくまでご堪能ください。また、テレビや雑誌などでも紹介されている東京・銀座の「木挽町よしや」(1922年創業。歌舞伎座路地裏にたたずむ老舗和菓子屋)が作る伝検ロゴ焼き印入りのどら焼きをご提供します。イベントの詳細やお申し込みはこちら(伝検×七緒コラボイベント「数寄を見つけよう」)をご覧ください。


【編集後記】
週末に宮崎へ行き、採れたての海の幸や山の幸を堪能しました。ただでさえおいしい食材の数々を引き立てるのは陶磁器。まさにトップ記事の宙ちゃんが紹介した美濃焼や、「クイズで肩慣らし」で出題された陶磁器など、食卓をさらに彩るものとしての器がとてもきれいでした。生活の中に、こうした器を上手に取り入れていきたいものです。

関連タグ: #陶磁器 #食文化

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