2025.11.06
コラム/エッセイはじまりのころも・葵上
安田登=能楽師、関西大学総合情報学部特任教授

イラスト=山川 石
「葵上(あおいのうえ)」という能があります。葵上とは光源氏の正妻の名です。
舞台がはじまると、無音の中、畳んだ小袖(着物)を大事そうに持った人が現れます。やがて舞台の正面前方に置き、そして丁寧に広げる。そして、引っ込んでしまう。
ただ着物を置くだけなのに、儀式のような荘重な動き。能を観(み)慣れない人は戸惑います。実は、この小袖が病床の葵上なのです。
「葵上」は、光源氏の年上の恋人である六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊が、正妻・葵上を取り殺そうとする能です。それを阻止しようとする横川(よかわ)の小聖(こひじり)という修験者や霊媒の巫女(みこ)も登場します。しかし、もっとも大切な登場人物である葵上は能には登場せず、小袖がその役をするのです。
「見立て」という言葉があります。これは、本来は見ることによって、そこに何かを出現させてしまう行為を言いました。能「葵上」の小袖もそうです。六条御息所の生霊も、修験者である横川の小聖も、この小袖に向かって演技をします。すると、そこに何かが立ち上がってくるのが見えるのです。
「衣には思い出が残る」と能では謡います。「思い出」とは、思いが出てくること。思念の出現です。「念」という字は「覆い(今)」の下に心があります。葵上は自分の本心を言えずに、さまざまな「念(おも)ひ」を衣の下に隠して生きていた人です。その「念ひ」を出現させるためには、生身の人間よりも「衣」だけの方がいい。そして、それほど大切な役割の装束なので、儀式のような丁寧な動作が必要になる。衣は丁寧に扱いましょう。
文=安田登
イラスト=山川 石
「七緒」(プレジデント社)VOL.76 より
安田 登(やすだ・のぼる)
能楽師のワキ方として活躍する傍ら、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演を行なう。関西大学総合情報学部特任教授。近著に「学びのきほん 使える儒教」(N H K出版)ほか著書多数。
カテゴリー: コラム/エッセイ
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