伝統文化を知る

2025.11.27

白洲信哉の「多様なるジャパン」

「多様なるジャパン」 第13回 古信楽

白洲信哉=文筆家、日本伝統文化検定協会副会長

古信楽大壺(個人蔵)室町時代

連載1回目で世界の最も古い縄文土器について述べたが、わが国は昨今怪しくなってきた経済大国以上に原始から「焼きもの大国」なのである。2017年に認定された日本遺産に「六古窯」(瀬戸、常滑、越前、丹波、備前、信楽)と呼ばれる中世以来の代表的な窯から、古くは須恵器に猿投(さなげ)、桃山に入ると流行した楽に唐津や美濃など、狭い国土の中に長い歴史を持つ焼きもの産地が現在進行形である。

琵琶湖の南に位置する信楽は、平城京を開いた聖武天皇が一時都を構想し、鎌倉時代末に焼きもの先進地域である常滑焼の影響を受け、窯業産地として発展する。「古信楽」とあえて「古」と付けたのは、現代信楽焼の代名詞となっているあの狸(たぬき)の置物と区別したいからだ。古信楽は、茶の湯の「枯れ、冷え」等の世界観と合致し、日常雑器、例えば小さな貯蔵用の種壷(つぼ)に孔(あな)をあけ掛花入れに転用したいわゆる「蹲(うずくまる)」は、小さな茶室のサイズにあったことから茶人に見立てられた。

中世古窯は土地の特性を生かし、水や酒なら「備前」とか、信楽は水が漏るけれど通気性があるから種壺にいいなど、生活に欠かせない日常品を保存するため用途に応じて選ばれた。しかも用のみならず自然釉(ゆう)から次第に意図的に釉薬を研究し、創作的な「美」へと進歩を遂げる。用の美は500年以上貯蔵や運搬用に使われることで長期熟成し、どれも内側からじわーといまだに艶艶(つやつや)としたものが多い。僕がとくに惹(ひ)かれるのは、茶室のサイズにあわなかったこともあり、茶人には拾われなかった古信楽の大壺や大甕(おおがめ)だ。

高温に耐えた大壺や甕(かめ)には多彩な表情があり、灰や釉薬が溶けて緑や茶色の自然釉になって流れたものなど千変万化、二つとして同じモノはない。その魅力が世に知られることになったのは、写真家土門拳が1965年「信楽大壺」を発表、かの映画監督黒澤明は「いわば中世の、空の、山野の、移ろう色を見るようである」と寄稿し、壷から映画のワンシーンをイメージしたのである。

紫香楽宮(しがらきのみや)跡の森の中に300を超える礎石がある。廃虚の景色は、都の造営を断念した聖武天皇の無念さや、古信楽の景色に「侘(わ)び」をみた茶人の思いと重なってくる。大和の原風景を写した写真家、入江泰吉が「日本の壺は風景とまったく同じです。(中略)焼きものを形容するのに、『景色』ということをいいますね。あれは実にいい言葉だ」と述べた。焼きものの表情と自然風景を重ね「景色」と呼ぶユニークな民族は、一つの壺でもぐるり回してみればわが国の多様なる原風景を感じられるのである。

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