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週刊メールマガジン「伝検通信」第25号をお届けします。

今号のトップ記事は、「芸術としての陶芸を切り開いた先駆者」に関する話題です。

「クイズで肩慣らし」は前回クイズの答え・解説と、陶磁器・ガラス分野からの出題です。

11月から実施する2級および3級の第1回伝検の受験申し込みが始まりました。公式テキストも先行販売され、2級受験者向けオンライン講座の販売もスタートしています。ぜひお申し込みください。

伝検申込サイト https://denken-test.jp/examination/


目次

・ 宙ちゃんの「伝統文化一直線」 第12回 野々村仁清と平賀源内
・ 「クイズで肩慣らし」第25回(陶磁器・ガラス)=「陶器」
・ 伝検協会だより


宙ちゃんの「伝統文化一直線」 第12回 野々村仁清と平賀源内

近藤宙時=日本伝統文化検定協会理事

野々村仁清の銘/純粋芸術としての陶芸を切り拓いた平賀源内(イラスト)

世界的なオークションで信じられないような落札額をたたき出す陶磁器の多くは、中国の清朝乾隆帝(けんりゅうてい)時代に官窯(かんよう=中国宮廷の窯)で作られたものです。イギリスで民家の屋根裏から見つかった粉彩の壺(つぼ)が68億円の値を付けたとか、同じく乾隆帝時代の青磁の筆洗(ひっせん)が30億円で落札されたとかいうニュースが時々流れます。ただ、こうした超高額の名品であっても、高台(こうだい=器の足の部分)裏には「大清乾隆年製」と刻印されているにすぎず、その作者名は分かりません。

清朝の官窯では分業制が敷かれ、特に皇帝が使用する磁器には、図案を描く絵師、磁器の材料を作る技師、それを成形するロクロ師、恐らく登り窯で焼く技師、焼き上がった磁器に上絵付けする絵付師等々、20もの工程それぞれにその分野の達人が携わっていたといいます。一つ一つの工程で最高の腕前になるにも長い修業期間が必要なため、1人の人間が全ての工程で最高の技術を持つことはできないという考え方から出たものでしょう。

最高の磁器を作り出すには、工程ごとの名人が協力する必要がありました。だからこそ、清朝時代の官窯の磁器は素晴らしく、後世においてまねのできないレベルに達したのです。しかし、それはあくまで官窯が作った磁器であり、誰か特定の陶芸家の作品ではありません。その意味では、現代の「〇〇窯製」の器と同じです。

日本はどうだったかというと、そもそも窯元の名前さえ記されてはいませんでした。陶磁器は工芸品の中でも生活に欠かせない実用性の高いものであり、たとえ天皇や将軍が使う器であっても、書画のように純粋な芸術品として扱われることはなかったのではないかと思います。ある人物が登場するまでは。

その人物が、伝検公式テキスト13ページに名前が出てくる野々村仁清(にんせい)です。彼は歴史上初めて、自分が作った陶磁器に「仁清」という作者名を押印しました。陶芸作家としての名乗りであり、日用品を超えた作品として見てほしいという、芸術家としての意志が込められたものであったかと思います。

彼に続いた尾形乾山(けんざん)も自らの作品に自らの名を残しました。しかも乾山の場合は、普段は見えない高台裏ではなく、絵を描いた表面にまるで書画の銘のように落款を印した作品も目立ちます。ここに至って、芸術としての陶芸が、それを手に取る人々にも意識されたに違いありません。

仁清から100年後、ついに陶磁器から実用性を取り去り、鑑賞の対象として提示した人物が現れます。平賀源内です。彼は、表面に深いレリーフで図柄を表した源内焼の制作を指導し、これを木製の台の上に立てて人々に見せました。立てられたことで、源内焼の皿は食べ物を載せる器ではなくなり、ただ鑑賞して楽しむという純粋芸術性を獲得したのです。

野々村仁清と平賀源内が切り開いた純粋芸術としての陶芸は、日常遣いの陶磁器から金工、木漆工などにまで影響を及ぼし、今日の世界でもひときわ美しく多彩な日本の工芸をつくり上げるのに大きく寄与したのではないでしょうか。19世紀のイギリスのデザイナー、ウィリアム・モリスが主導したアーツ・アンド・クラフツ運動に先駆けること100年も200年も前に仁清や源内がいたという事実は、記憶されるべきことのように思います。


「クイズで肩慣らし」第25回(陶磁器・ガラス)=「陶器」

~伝検公式テキスト(先行発売中)のジャンルごとに出題します~

かんなで表面を削り取る技法で作られた、印象的な陶器(福岡県観光連盟提供)

第25回
問題:1975年に陶器として初めて国の伝統的工芸品に認定され、2017年には重要無形文化財にも指定された、ろくろを回しながら模様を付ける福岡県の陶器は何でしょう。
(答えと解説は次号で)


曽根崎心中の登場人物、お初と徳兵衛

【前回の問題と答え・解説】
問題:近松門左衛門作の人形浄瑠璃「曽根崎心中」は江戸時代の実話を元にしています。そのゆかりの地として「お初天神」の通称で知られている大阪市の神社はどこでしょう。

答え:露天神社(つゆのてんじんしゃ)

解説:「曽根崎心中」は、1703年に露天神社の境内で実際にあったお初と徳兵衛の心中事件を題材とした近松門左衛門の代表作です。同年に人形浄瑠璃として初演され、後に歌舞伎の演目にもなりました。露天神社は「お初天神」と呼ばれ、境内にはお初と徳兵衛のブロンズ像が建ち、「恋人の聖地」と書かれたのぼりがはためいています。2人の男女が永遠の愛を誓ったことから、大阪では「縁結びの神社」として親しまれています。


伝検協会だより

▼公益財団法人日本手工芸作家連合会の井上美沙子会長と弊会の境克彦理事長がこのほど、懇談しました。同連合会は1966年の設立以来、手工芸に関する知識の普及や技術指導を行っており、公募による「創作手工芸展」は今年で57回を数えます。手工芸には染織、陶芸、漆芸、木工、ガラス工芸など伝検で学ぶ伝統文化と共通した部分もあり、連携を深めていきたいと思います。同連合会の公式サイトは、http://www.syukogei-sakka.or.jp/

▼11月からの第1回検定(2・3級)の受験受け付けが9月20日から始まりました。公式テキストも同日に先行発売され、10月以降、国内の約280書店にも順次並ぶ予定になっています。昨年末の伝検協会の発足後、急ピッチで準備を進めていますが、多くの方のご協力を得て、一つの大きな山を越えることができました。この場を借りて、改めて感謝を申し上げます。試験は、全国の300カ所以上のテストセンターでコンピューターを用いて回答するCBT方式を採用していますが、今後、問題のチェックやシステムの確認といった作業に万全を期し、第1回検定を実施したいと思っています。


編集後記

伝検通信第25号をお届けしました。今週のメルマガの準備をしながら、普段使わない湯飲みを出してお茶をいれてみました。あわただしい生活の中にも、湯飲みを持つと何かほっとする時間がやってきます。やわらかい温かさを伝えてくれる陶器のよさを改めて感じました。