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白洲信哉=文筆家、日本伝統文化検定協会副会長

仲秋月の出(筆者提供)

来月10月6日(月)は、仲秋(中秋)の名月「十五夜」である。毎年日時がずれるのは、農耕社会の基盤であった月の満ち欠けをもとにした太陰暦(旧暦)を採用してきたからだが、昨年と3週間弱のズレが生じ、いつもながら旧暦との差異に戸惑う。旧暦の7月を「孟秋」、8月を「仲秋」、9月を「季秋」と呼び、秋のちょうど真ん中の月を「仲秋の名月」などと呼ぶ。里芋の収穫期でもあったことから、「芋名月」とも言って絶好の観月夜になる。

僕はマイ三大祭りとともに仲秋は大切な年中行事である。ここ十数年、小林秀雄の住んだ鎌倉の通称「山の上の家」で祖父に習い、お月見をしている。三方山に囲まれ、南に相模湾が開けた天然の要塞(ようさい)鎌倉。東山の稜線(りょうせん)から月があがり一番高い位置にあがった月が海面を照らし、空が白々としてきた頃、西の山に沈む。酒の具合で朝までもつのは五分五分だが、あるときは月壷(李朝時代18世紀の白磁大壺)の逸品を東京の美術店から運んだり、ひとまわり小さな提灯(ちょうちん)壷を友と持ち寄り並べ、稲穂に見立てた秋のススキを生けたりと、月が雲にお隠れになっても気分の演出に、我流の月見飾りを楽しんでいる。

だが、ひと月後にある十三夜も忘れてはならない。旧暦9月13日は、「十三夜」「後の月」「栗名月」「豆名月」と呼び、「十五夜も楽しんだら十三夜も」と、片方だけの月見を「片見月」といって忌み嫌う風習がある。これは日本独自の風習だ。僕らの文化がユニークなのはこうした中国産の輸入文化を日本風にアレンジを加えることだ。節供(節句)に加え毎月十五日を節目とする独自の「雑節」を生み出し、季節や時間の移り変わりをさらに細かに分けた。漢字の音で不都合な部分は万葉仮名をこしらえ、来月書く予定の禅宗は日本的禅宗の解釈を加えた上で庭園に絵画などが生まれていったのだ。

十五夜も必ず満月というわけでなく十三夜にしても欠けたるものを尊び、過ぎ去った月にまで、「立待(たちまち)」「居待(いまち)」「寝待(ねまち)」「更待(ふけまち)」などと、今か今かと月の出を楽しんでいたことがその名からよく伝わってくる。月は、日本人の季節感や美意識を映し出す鏡のようなもので、古典文学のみならず俳句の季語「月」は秋を指し、月光、雪月花、朧(おぼろ)月など、月に纏(まつ)わる言葉は数え切れない。日本人ほど古来より月を愛した民族はいない。

十三夜は11月2日(日)。一晩の月見には少し寒いかもしれないが、日々「今夜の月はなんだろう?」と暦を気にかけ、一夜に一度夜空を見上げてみよう。