紅掛空色(べにかけそらいろ)

うっすらと赤みを帯びた淡い空色が「紅掛空色」です。夕暮れ時に、青い空と夕日の赤が混ざり合った色で、藍で下染めした空色の上から紅花を重ねて染める染色法から名付けられました。このほかにも、夜が明け太陽で白み始める空を「曙色(あけぼのいろ)」、晴天の澄んだ空を「天色(あまいろ)」、夕方のほの暗い空を「瞑色(めいしょく)」と呼ぶ表現もあり、季節や時間の移ろいを踏まえ、美しい日本語で空の色を表しています。

蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)

「寛政三美人」は、美人画を得意とする江戸時代後期の浮世絵師・喜多川歌麿の代表作の一つ。版元の蔦屋重三郎が出版、宣伝、販売を手掛け、歌麿と3人の美女の人気で飛ぶように売れたそうです。絵の上段の女性は浄瑠璃・豊本節(とみもとぶし)の名取で吉原の芸者「富本豊(とみもととよ)ひな」。下段の2人は、いずれも寺社の境内などで茶を供し道行く人を休ませた水茶屋店の看板娘で、左が両国薬研堀(りょうごくやげんぼり)の「高島屋おひさ」、右が浅草随身門(あさくさずいじんもん)前の「難波屋おひさ」です。なお、2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」は蔦屋重三郎が主人公です。

広島県

一般的な形のしゃもじは日本三景の一つ、広島県の宮島(厳島)が発祥の地とされています。厳島神社の建立で招かれた宮大工らに由来する宮島細工の名産品で、同県は日本一の生産量を誇ります。しゃもじは、打ち鳴らした時に「カチカチ(勝ち勝ち)」と鳴る音や「敵を召し(飯)取る」の語呂合わせなどから、必勝祈願の縁起物となったといわれています。

わら

線香花火は、細いわらの先に火薬を付けた棒状の花火が始まりで、江戸時代に米どころでわらが入手しやすかった関西地方で生まれました。香炉や火鉢に立てて楽しむ姿が線香に似ていることから、名前が付いたといわれています。その後伝わった関東地方では、紙すきが盛んだったこともあり、わらの代わりに和紙を使うようになり、細長くカラフルな和紙で火薬を包んだものが流行しました。

青粒(あおちぶ)

九谷焼は地元石川県の方言で「あおちぶ」と呼ばれています。極小の点を密集させて描く上絵の盛り上げ技法の一つで、粒の大きさ、色、間隔を均一にするという緻密な技術が要求される技法です。青粒のほかに白粒(しろちぶ)や金粒(きんちぶ)などもあります。写真の器は九谷焼の伝統工芸士・仲田錦玉(なかた・きんぎょく)さんによるもの。極小の点描が等間隔で渦を巻くように描かれ、華やかに輝く金盛の文様との美しいバランスが特徴で、青粒技法の第一人者と言われています。

夢幻能(むげんのう)

能は大きく「現在能」と「夢幻能」に分けられます。生きた人間のドラマを現在進行形で描くのが「現在能」。一方、「夢幻能」は神や鬼、幽霊といった異界からやって来た霊的存在が昔を思い、その土地にまつわる伝説を振り返ったり、過去の物語を再現したりするのが特徴です。人間の心理を深く描き出せる「夢幻能」は、世阿弥が父の観阿弥が志した幽玄を受け継いで確立した劇形式です。

素麺(そうめん)

古代中国で7月7日に熱病で亡くなった皇子が悪霊となり熱病をはやらせたのを、好物だった「索餅(さくべい)」という菓子を供えて鎮めたという話が日本に伝わり、七夕の儀式に供え物の一つとして索餅が使われたことがルーツといわれています。その後、同じ小麦粉で作られた素麺が食べられるようになり、以来、無病息災を願う七夕の行事食となりました。また「五節句」が「五節供」と言われるのは、神前にお供え物をする節句の風習が由来とされています。

福井県

福井県では、毎年11月に入ると土産屋や菓子屋にずらりと水羊羹が並びはじめ、県民は冬の訪れを感じます。福井の水羊羹のルーツは諸説あり、江戸時代に関西へ年季奉公に出ていた少年が年末の帰省時に持ち帰った小豆で作ったという説、また、持ち帰った羊羹を水と寒天を加え炊き直して食べたという説などがあります。糖度が低い水羊羹は保存が利かず、福井の冬の厳しい寒さが寒天を固めるのに適していたことなどから、冬場が旬になったと言われています。

12

全国で一般的に見学できる城は現在、約200ありますが、戦後に再建されたものも多く、江戸時代以前に建設された「現存天守」はわずかに12城。このうち、長野県「松本城」、愛知県「犬山城」、滋賀県「彦根城」、兵庫県「姫路城」、島根県「松江城」の5城は国宝、青森県「弘前城」、福井県「丸岡城」、岡山県「備中松山城」、香川県「丸亀城」、愛媛県「松山城」「宇和島城」、高知県「高知城」の7城は重要文化財に指定されています。

三枡文様(みますもんよう)

大中小の枡を入れ子にして、上から見た形を文様化したものを「三枡文」といい、荒事(あらごと)の創始者である初代市川團十郎が定紋として使用しました。團十郎家の屋号である成田屋では「三升」と書き、代々受け継がれています。当時、歌舞伎役者たちは手ぬぐいや風呂敷に用い、襲名披露時の引き出物や贔屓(ひいき)筋への贈答品など宣伝に活用。「三枡」を散らしたもの以外にも、縞や格子と組み合わせたものなど、いろいろなパターンがあり、今でも浴衣や手ぬぐいなどに使われています。

水沢駅

1996年に環境庁(現環境省) が選定した「残したい日本の音風景100選」に選ばれた、JR東北本線水沢駅(岩手県奥州市)の南部風鈴(南部鉄器の風鈴)。水沢駅では、毎年6月から8月にかけて駅構内に数多くの南部風鈴がつるされ、夏の風物詩として観光名所となっています。南部鉄器は、奥州市では平安時代後期に奥州藤原氏が近江から鋳物師を招き武具などを作らせたことが、盛岡市では江戸時代中期に南部藩主が京都より釜師を招き茶釜を作らせたことが、それぞれ始まりとされています。

久米島(くめじま)

久米島紬(くめじまつむぎ)は、15世紀後半に、「堂之比屋(どうのひや)」という人物が、久米島に中国の養蚕技術を持ち帰ったことが起源とされています。久米島紬の特徴は、糸紡ぎから織りの全工程を一貫して1人の織子(おりこ)が手作業で行なうこと。染料には久米島の植物や泥を使い、織りは手投杼(てなげひ)を用いて丹念に手織りで織り上げます。それにより、久米島紬独特のしなやかな風合いと、素朴であたたかみある紬に仕上がります。

魚子文(ななこもん)

江戸切子は、ガラスの表面に刻み込まれた美しい文様が特徴。そのデザインは、いくつかの縁起の良い文様の組み合わせから成ります。この切子写真の文様は、切子面の細やかな光の反射が、まるで魚の卵が沢山連なっているように見えることから「魚子文(ななこもん)」と呼ばれています。古くは「魚」を 「な」と読んでいたことに由来します。魚子文は、金工や染織などにも見られる日本の伝統的な意匠で、 子孫繁栄の意味が込められています。

松羽目物(まつばめもの)

松羽目とは、歌舞伎の舞台の正面に老松を描いた舞台装置のこと。能や狂言をもとにして作られた演目に使われます。「勧進帳」は江戸時代に初めて松羽目を使って上演された演目と言われており、能や狂言のように格調の高いものにしようという理由から作られました。その他にも、能をもとにした「船弁慶」「土蜘蛛」、狂言をもとにした「身替座禅(みがわりざぜん)」「素襖落(すおうおとし)」など、多くの演目が現在でも上演されています。

初物七十五日(はつものしちじゅうごにち)

初物とは、旬のはしりや出始めたばかりの食材のこと。初鰹、初茄子、新茶、新米などとして、季節ごとにさまざまな農作物や魚介類が人々に楽しまれてきました。「初物七十五日」は「初物を食べると七十五日寿命がのびる」という意味。七十五日は初物が収穫される季節の区切りを指し、寿命については、江戸時代に処刑される罪人が死ぬ前に食べたいものを問われた際に、少し先の「初物」を望み、刑の執行時期が伸びて延命できたことが由来とされています。

最澄

日吉大社(滋賀県大津市)に伝わる「日吉社神道秘密記」によると、遣唐使として唐で仏教や大陸文化を学んだ最澄が805年に唐より茶の種を持ち帰り、比叡山の麓(現在の滋賀県大津市)に植えて栽培したという。現在でも日本最古の茶園「日吉茶園」として存続しており、毎年八十八夜には「茶摘祭」が行われ、日吉大社と延暦寺に新茶が献じられています。

エリザベス女王

龍安寺は室町幕府の有力者だった細川勝元が1450年に創建した禅寺。枯山水は、石や砂、植物、地形を利用し、水を使わずに水の流れを表現する庭園形式で、 限られた空間に無限の広がりを感じる石庭が室町時代の禅宗寺院で特に発達した。1975年にエリザベス英女王が龍安寺を公式訪問した際に石庭を称賛したことから、当時の禅ブームの後押しもあり、世界的に有名となった。1994年にはユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」に登録された。

麻の葉文様

アニメ「鬼滅の刃」の登場人物、禰豆子(ねずこ)の着物の柄に描かれた「麻の葉文様」。正六角形を基本とする割付文様で、古くは平安時代の仏像の装飾などに使われている。後に麻の葉に似ていることから、「麻の葉文様」と言われるようになった。江戸時代に歌舞伎役者の嵐璃寛(あらし・りかん)が娘役でこの文様を用いたことより大流行。麻は丈夫で成長も早いことから、子どもの健やかな成長を願い、産着や子どもの着物などによく使われていた。

蒟醤(きんま)

漆芸の加飾技法の一つ。漆地に特殊な蒟醤(きんま)刀で文様を線彫りし、彫溝に色漆を埋めて平らに研ぎ出し、文様を描き出す技法。緻密な線と色彩の美しさが特徴だ。江戸時代後期の漆工職人である玉楮象谷(たまかじ・ぞうこく)がタイや中国から伝わった漆器技法を研究し発展させた。現在では香川漆器の代表的技法となっており、これまでに多くの蒟醤の人間国宝を輩出している。

イサム・ノグチ

米彫刻家イサム・ノグチが岐阜提灯に関心を持ったのは、長良川の鵜飼見物のために岐阜県に立ち寄った1951年。尾関次七商店(現オゼキ)の提灯工場を訪れた次の日には、二つの提灯をデザインしました。簡素なものの中に無限の世界を表現しようとするイサム・ノグチの哲学と日本的な美意識が結実した和紙照明「AKARI」。現在、多くの美術館、ギャラリーに展示され、その芸術性は世界中で高く評価されています。

火襷(ひだすき)または緋襷

火襷は備前焼の焼けの景色の一つ。1000年の歴史を持つ備前焼は「日本六古窯(ろっこよう)」の中で最も古い焼き物で、形造った素地を釉薬(ゆうやく)を掛けずに窯詰めし、松割木を使って長時間焼きしめることが特徴です。火襷は成形し乾燥させた作品に稲藁(わら)を巻き、焼成することで藁の燃えた跡が緋色に発色し、それが赤い襷(たすき)をかけたようだったため、火襷と呼ばれるようになりました。土と炎と人の技の調和により、素朴でありながら奥深い備前焼ならではの魅力が生まれます。

伝検クイズ バックナンバー

これまでに出題した日本の伝統文化にまつわるクイズです。伝検の試験問題に採用されるかもしれません。ぜひチャレンジしてみてください。

  • 秋の夕暮れ時に青い空と日暮れの赤が混じる空の色は何と呼ばれているでしょう。

  • 江戸時代の浮世絵師・喜多川歌麿の「寛政三美人」を出版、販売したのは誰でしょう。

  • しゃもじ(木製)の発祥の地といわれ、生産量が日本一の都道府県はどこでしょう。

  • 線香花火は、あるものの先に火薬をつけたものが始まりといわれています。それは何でしょう。

  • 九谷焼でイッチンという道具を使って丸い点を描く技法は何でしょう。

  • 神霊や過去の幽霊など、霊的な存在が主人公となる能の形式の名称は何でしょう。

  • 行事やお祝いの日に食べる特別な料理を「行事食」といいます。七夕の行事食は何でしょう。

  • 冬に水羊羹を食べる習慣があり、 冬の風物詩として親しまれている県はどちらでしょう。

  • 江戸時代以前に建てられ、現代まで残っている「現存天守」は、幾つあるでしょう。

  • 江戸時代に歌舞伎役者が考案した、この役者文様の名前は何でしょう。

  • 「南部風鈴」の音色が「残したい日本の音風景100選」にも選ばれた駅はどこでしょう。

  • 日本の紬はある島に中国の養蚕技術が持ち込まれて発達しました。その島はどこでしょう。

  • 江戸切子の繊細なカットが光を受けて輝くさまから名付けられた文様名は何でしょう。

  • 歌舞伎で能舞台を模した舞台装置を使う「勧進帳」などの演目を何と言うでしょう。

  • 「食すと寿命が延びる」という意味の「初物」が入ることわざは何でしょう。

  • 805年に中国から茶の種を持ち帰り栽培した留学僧は誰でしょう。

  • 枯山水の石庭で有名な「龍安寺」を世界的に有名にした英国の王族は誰でしょう?

  • 吉祥文様の一つで世界的に知られたこの文様の名前は何でしょう?

  • 香川漆器で文様のくぼみに色漆を埋め込む独特な技法は何でしょうか?

  • 「岐阜提灯」との出会いから誕生した有名な照明「AKARI」をデザインしたのは誰でしょう?

  • このお茶碗の模様、何と呼ばれているか、ご存じでしょうか?

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